レオナルド

といえば熊ですが・・・


・・これってわかる人、少ないですよね。


少し前になりますが、GW期間に「藤田嗣治展」に行ってきました。
竹橋の東京国立近代美術館での催しだったのですが、
主催にNHKが絡み告知が行きわたっているせいか、
たいへんな賑わいでした。


正直、美術に疎い自分からしてみると、藤田については
「エコールドパリ」で活躍したモディリアニの友人くらいの
予備知識しかなく、鑑賞の数日前に、現代美術の人が彼の戦争画
モチーフに兵士をザクにおき換えた作品を発表していることを
知ったぐらいでした。そもそも戦争画って何? 状態でしたし。


それで、行った感想なのですが、それがものすごく良いのですよ!
時系列に初期1910年頃の作品から'60年代のものまで並べられているのですが
まずその技術力が傑出していることに驚かされます。
日本人でこんなに巧い西洋画家がいることに仰天させられ、
その彼をも、'30年代に帰国して以来、真っ当に評価してこれなかった
日本(美術界)の責任が21世紀に突如蒸し返されたとでもいいましょうか・・
『「乳白色の肌」の優美な美しさ』で代表されるパリ時代の裸婦像はもとより
圧巻の巨大な戦争画5点、フランスに戻りフランス国籍をえた晩年の
FOUJITAが描く宗教画や子供たちの画はまさにモダンの一言。


そういった作品群を見ているうちに、不思議な感じになっていくのですよね。
これだけの巧さと表現力をもっているのに、彼の作風は時代や居ついた土地に
合わせたかのように、コロコロ、コロコロと変遷していくのが見えてきます。
当然のように二つの世界大戦は、彼の作品史に巨大な塚のように刻まれていますし、
パリ時代には、西洋で黄色人種が認められるための最大限の工夫をこらした芸風で
一流の画家となっていったことが窺えます。
「コロコロとかわる」と、ややネガティブにとらえられても仕方がない
表現を使っているのですが、この多様な作品群を通してみるとそのネガティブな
響きとは絶対的に異なる骨太な藤田像が浮かび上がってきます。


これはこの企画展がすばらしい催しだったという証だと思うのですが、
おそらく藤田は生前、自身の作品を振り返ることがあったとしても、
これだけの作品を時系列に思い浮かべることはできなかったと思います。
この催しが素晴らしい点は、たえず変わらざる得なかった弱さを持つ藤田と
その作品群に込められた骨太な藤田の表現の強さ(一貫性)が、
俯瞰して見えることです。


フランスだけでなく、国内の地方に散らばった彼の作品のひとつひとつを
現地でさっと眺めたところ、それは彼の表現者としての弱さを感じるだけ
なのかもしれません。
いみじくもこのレオナルド藤田展は、藤田が生涯、自分自身をイメージ
していた彼の作家像が、実はそのイメージを遥かに超え芸術の巨人といえる域まで
到達していたことを提示する、希有な体験を供してくれています。


と、熱く書いてみましたが、展覧会は今月21日までですので
行っていない方は、ぜひ足を運んでみてください。
ともかく、この企画を実現した関係者の皆様に感謝ですね。



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さてさて、いつのまにやら前半戦を終えた夏場所ですが、
たまたま見に行った二日目に朝青龍が怪我してしまい休場。
安馬もやっと初日がでましたが、盛り下がり度は高いなあ。
こうなったら稀勢の里あたりに、優勝争いに加わってもらいたい!?