デジタル写真とフィルムカメラ

今日はまじめな話?!


二年ほど前、デジタル一眼レフがフィルムの世界を席巻し始めたころ、
批評家飯沢耕太郎氏は「デジタル写真の特異性とは、撮影後、
瞬時に消去できること」と語っていました。
物理的な容量をもったものではない、いつでも消し去ることができる
「存在の不安定さ」こそがその特徴であると。
この話、論理的には分かるのですが、
どこか事態を解りにくくさせているかもとずっと引っかかっていました。


最近プライベートではフィルムしか撮らなくなったことで
気付いたことがあります。


薄々他の人もそうかもと思っているのですが、
実は「デジカメで写真を撮る」ことに趣味性というものを
感じていない自分に気づいたのです。
そこで飯沢氏の話を「デジタルが」ではなく「フィルムが」と
語ると分かりやすくなることに思い当たります。
「フィルムの」特性とは消せないことではなく残ること、
残ってしまうことなのです。
ふだんスナップ専用に使っているカメラの上がりを見ていて
気づいたのですが、その36枚撮りのリバーサルシートには、
露光不足やまばたきにかぎらず、
手ブレ、ピンぼけといったあらゆる失敗 もそのまま写っています。
1枚しかシャッターを切らずに、NGテイクしかないものも、
他と同じようにその存在を主張しています(まあプロのくせに
NGが多いという話は置いておきますが・・)。
デジタルで撮ると、たいていNGと解った瞬間に
ゴミ箱マークを押していますよね。
その判断基準というのが、とても主観じみていて、
撮り手はこう撮りたいというある種のラフスケッチを何となく
頭の中に持っていて、そう撮れなかったものが消されてしまうのです。
例えば妻を撮ったとしましょう。フィルムで撮ると、
変な顔で笑っていたりアクビしてたり、目をつむっていたりした写真も
物理的に残ります。でもデジタルでは撮った端から
「これはダメ!」という(恐い、妻の?)声のもと、NGカットは
即消されてしまいます。
写真は撮った瞬間から、空間を過去にしてしまう特性が
あるといわれていますが、こういった一見NGというものこそ
写真という概念の大きな構成要素です。
例えば30年後、自分の子供たちが私の下手な写真に写る
妻を見たとしましょう。変な笑顔も目をつむった顔も、
彼らにとっては掛け替えのない母親の表情に違いないのです。
お決まりのポーズではない素の写真。
もちろん記念に残るような写真を否定する訳ではありませんが、
これこそフィルム写真の本当の強さなのではと感じている
今日この頃であります。


持ち歩くカメラは日付機能をオンにしています。
これがなかなかおつですね。

正月体調不良で実家に帰れなかったので、
リフレッシュがてら横浜にいったときの一コマ。


出羽出羽。