まごころ(’39)

フィルムセンターで観てきました(おととい)。
リーフレットには「傑作」の文字が載っています。
通常、フィルムセンターで特集上映があるときに、
いちいちこんな修飾語が載ることはまずないのですが、
制作した人の思い入れが感じられます。
浮雲」にも「乱れる」にも、はたまた「おかあさん」にも
傑作なんていう言葉は載っていないのですが、
この「まごころ」、映画史上稀にみる宝物です。


物語は単純で、小学校高学年の少女二人は、互いの父親と母親が、
昔恋仲だったことを偶然知ってしまい、
そのことで大人の心を気遣い、そして戸惑う様子を
夏休みの山あいの町(甲府)の風景と併せ、優しく描写しています。
そして、この少女たちの存在が、ただひたすら素晴らしい。
母親におねだりをするとき、畳でごろごろと丸くなったりして甘える様だけで、
「むかし・こんな少女たちが・日本に・いた」ということを
思い出させてくれ、感涙ものです。
シン・シティ」でナンシー・キャラハン(8年前猟奇犯に誘拐された少女)を
濡れ衣を着せられた老刑事(ブルース・ウィリス)が探し求め、
少女から大人になっていた姿を発見(!)するときも感動の映画体験ですが、
阿部和重が芥川をとる、そんな「シンセミア」な時代の住人として、
この少女たちはどうやって“育まれた”のだろうと、真剣に考えさせられます。
既に日中戦争佳境な昭和14年の制作、成瀬自身による脚本ですが、
戦争の影を感じながら、培養された、という言葉のほうが
しっくりする少女たちは、本当に尊い存在です。


ちょうど「NANA」を観たばかりで、もちろんあおいも美嘉姫も
現代では抜きんでた存在だと思うのですが、正直その差は歴然です。
あまりにも世界の背景が違うということなのでしょうか?
同年作「はたらく一家」でも、子供の世界から感じる社会を
丁寧に描写している成瀬ですが、現実世界の緊張感が高いことで、
少女・少年・青年たちの感覚も尋常じゃなく敏感になっていることが伝わってきます。
話しはそれますが、「NANA」にも出ているイケメン人気俳優・成宮寛貴くん、
個人的にずっと苦手なんですよね。ボーダフォンのCMで出ていた頃なんて
本当に嫌なタイプの若者だなーっと思っていたのですが、
「まごころ」について思案していて思い当たったことで、
外の世界に対して“鈍い感じ”という印象があります。
コミュニケーション能力が劣る、というのとは違う
世界に対して“鈍い感じ”というのが苦手の原因かなと・・
同じ世代でも、塚本高史(銀次郎!)だとそんな印象はないのですけど。


a long time ago in a galaxy far , far away...
昭和14年甲府、7月末。そこは、まさにそんな感じ。