亡国のイージス

中井貴一、結構かっこいい。


それにしても、いそかぜが沈むときのCG、
あれは無いんじゃないでしょうか?
ちょっとモンティ・パイソンレベルでしたね。


福井晴敏の小説・映画、ともに1本づつ体験したことに
なりますが、ちょっと乗り切れないところがあります。
テレビで初めて見たときに、日本について特異な着眼点で
朴訥と語る様子が、妙に印象に残っているのですが、
イマイチストーリーに乗り切れない。
共通するのは、主人公は社会の底辺にいる疵をもった人間なのに、
事件に巻き込まれると計り知れない火事場の馬鹿力を発揮して
困難を乗り越えていくというあらすじ。
同時にストーリーの肝となる事件は、
戦後日本の構造の矛盾を露呈させるという点が、
いま彼が持て囃されている理由の核なのでしょう。


でも正直キャラクターが描かれ過ぎです。
見ていて久しぶりに思い出したことがありました。
それは、フラットキャラクターとラウンドキャラクターの
描き分けです。
学生の頃、大岡昇平の小説入門を読んでいたときに
出てきた話なのですが、思いっきり要約して言うと、
主人公はラウンドキャラに、そして枝葉となる脇役は
フラットキャラに描き分けるということです。
筋を描写するにあたって、脇役に余計な深みを与えても、
それは進行の妨げになる、という方法論です。
彼も、フォースターからの引用でこの話を紹介していたのですが、
当然、偉大な作家の中に登場する人物は、皆ラウンドキャラだ、
なんて落ちでしたが。


真田広之以外の人物描写が、細かすぎです。
もっとアクションに徹底するなら、恐い奴は恐く
悪どい奴は悪どく、と簡単に描写すればと思うのですが、
往生際が悪いのでしょうか?
きっと記号のような人間を出すのが嫌なのでしょうね。
同世代ということもあって、阿部和重ともども
注目の作家なのですが、ちょっと?な点もありかな。


阪本順治も「トカレフ」では、佐藤浩一の不気味さについて
一切説明していなかったのに、大作のプレッシャーですかね。


映画を観た後に、渋谷の109を歩いてみたのですが
亡国の夏休みギャルは、元気いっぱいでしたよ!?